障がい者はどんどん発信すべき

スマートフォンの普及で個人から発信することがカンタンな世の中になりました。
しかも発信に掛かる費用は(通信費を除けば)ほぼゼロです。
すごい世の中になりましたよね。
私はソーシャルメディアのおかげで障がいがあっても生きやすくなりました。
発信する覚悟があれば、障がい者はもっとハッピーになれる。
そんな気がしています。
障がい者差別解消法・・・とは言うけれど。
4月から施行された障がい者差別解消法はご存じでしょうか。
この法律により、障がいのある方に対して「合理的配慮」が求められるようになりました。
合理的配慮とは、例えば、車いすなど移動が困難な障がい者向けにエレベーターやスロープを設置したり、目の見えない人には読み上げてあげたり。
耳の聞こえない人には筆談をするなど、障がいのある人に対して出来る限りの配慮をすることです。
障がい者とその家族にとって、まさに悲願ともいうべき法律が施行されたおかげで、いままでよりも、さらに暮らしやすい社会に変わることが期待されています。
しかし。
実際にどうでしょうか?
何か変わった実感ってありますか?
個人的には、まだまだ大きく変わらない気がしています。
次にその理由を書きますね。
あなたが何に困っているのかを相手は知らない
車いすに乗ってるなど、見た目に障がいの有無が分かるなら合理的配慮は受けることがあるでしょう。
これは法律ができる前でも後でも同じだと思います。
社会には障がいの有無が「見た目には分かりづらい方」がたくさんいて、その人が何に困っているのかを第三者が知ることは、直接話しを聴かない限りほぼ不可能です。
電車の優先席を必要としている方かもしれないけど、障がいが見た目に分からなければ声を掛けたり席をゆずることはまずない。
手前味噌ですが、私の場合は、義足を外してしまえば脚が無いことは一目瞭然。
でも、義足を付けて普通に暮らしている分には誰も気づかないし、障がいがあることを気にしてくれる人は皆無です。
何がいいたいかというと、耳が聞こえない方も、心臓ペースメーカーの方も、そして精神障がいの方も、見た目に障がいが分からないのだから、他人はあなたに合理的配慮できるわけが無いのです。
だからこそ発信が大切
私の場合、Facebookなどのソーシャルメディアで発信するようになってから、障がいのことを説明する機会が激減しました。
以前なら初対面の人に「足、どうされたのですか?」と聞かれば説明が必要でした。
そして、説明した瞬間から重苦しい空気に変わっていく(笑)
でもね、SNSを始めてから説明不要なことが多くなったのです。
ときには『イス用意しますか?』と、いきなり気遣って下さる方もいるくらい。
(私の義足は座敷でも座ることができますので、お気持ちだけ受け取ってます)
私は、自分がにどんな障がいがあり、何に困っているのかを、わざわざ発信しているわけではなく、とりあえず障がいのことをオープンにしただけ。たったそれだけで、ソーシャルメディアを読んだ方々が私への理解を深めていただいたり、どんな接し方をすれば良いのかあらかじめ考えてくださる。
事前に知ってくださるから、私への接し方に困らないのですが、それもこれも発信しているおかげなのです。
つまり、見た目に障がいが分かる方も、わかりづらい方も、あなたにどんな障がいがあり、どんな考え方で生きていて、どんなことに困っているとか、どんな夢があるとかをSNSで発信することは、あなた自身のためでもある以上に「相手のためでもある」わけです。
また、あらかじめ知ったうえで会うのとまったく知らずに会うのとでは相手との距離感や親近感が全然ちがうし、足の説明をしていてから本題に入るよりも、コミュニケーションが圧倒的にスムーズなのだから、発信しない手はありません。
「発信しないのは存在しないのと同じ」
最近はそんな言葉があるくらいで、発信しないほうが損するくらいの時代になっています。
もしあなたが障がい者なら、何でも構わないので、好きなことをためらわずに発信することをおすすめします。
あ、そうそう。
発信するうえで絶対にやってはダメなことを書きますね。
間違ってもグチったり、妬んだり、社会を嫉んだりする投稿はNGです。
絶対にやめておきましょうね。
さて、風呂に入ってこよっと。