腐りきった私の心を変えた看護師とのエピソードはブログや講演でたびたび触れていますが、改めて書いてみたいと思いましたので記事にします。

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検査で訪れた岐阜大学病院の廊下で久々に会った看護師の中村さんに対し、不平不満を言ったことがきっかけでした。

「オレなんて生きてても仕方がない」と言ったのです。

検査を受けたところで再発が見つかれば死を意味するし、同じ病棟で過ごした同世代の患者仲間が亡くなるのを目の当たりにしてるから、いつも死が隣にありました。

仮に、運良く再発しなくても、こんな身体でどうやって生きていけば良いのか皆目検討もつかないから未来に希望など見いだせません。

当時はいつも「なんでオレなんだ」「なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ」と思ってたし、「こんなオレを産んだ親が悪いんだ」とか、学校が悪い、世の中が悪いとか、すべてを自分以外の周りのせいにしていました。

心が完全に腐りきっていたのです。

そんな私を見た中村看護師が悲しい目をして「手術の前夜に自分に負けないでと言ったことを覚えているか」といわれたことで、再起が始まりました。

確かにそう言われたことは覚えています。

だけど病床で言われたときはまったく意味が理解できませんでした。

長い入院生活を終えて退院を見送った10代の患者が久々に会ったら腐りきっていた。

そんな私を見た中村看護師はきっと悲しかったと思います。

中村看護師以外にも入院中に関わってくださった看護師は何名もいますが、当時の私を見たら誰でも残念に思うほど、どうしようもない人間になっていたと思います。

自分の置かれた不遇を自分以外の何かのせいにするだけの日々でしたが、仲間は死んでも私は生きている。

なのに、抑えきれない怒りや悲しみから逃げるだけで、自分自身と向き合おうとしなかったのです。

このエピソードは17歳も終わるころの話です。

闘病生活が始まったのは16歳の誕生日を迎えたときなので、気付くまでに2年近くもかかりましたが、あの再会がなければまた違った人生だったように思いますし、ひょっとしたら生きてなかったかもしれないとすら思います。

あの再会で私は変わることができました。

私が変わるということは、心配していた家族が安心することを意味します。

だから本当に感謝でしかありません。

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この私のエピソードは地域にたくさんいる障がい者の、たったひとつのエピソードに過ぎません。

でも、いまこの瞬間も、出口が見えないトンネルのなかで苦しんでいる障がい者とその家族がたくさんいます。

私はいま、くらしケアという会社を経営しています。

そして、多くの看護師やその他の仲間とともに活動しています。

当時の私が看護の力で救われたように、仲間を通じて多くのご利用者様の明日が希望に満ち溢れたものに生まれ変われるようにできたら私自身が存在した意味があるかもしれない。

看護の力が最大限に発揮されるように。

そしてより多くの人に手を差し伸べることができるように。

生きることを決めるのは自分です。

くらしケアの主役は看護師や、看護サービスを提供する仲間たちです。

私は役員とともに経営の舵取りをしっかりと行うことで、ご利用者様のお役に立つことができたらと考えています。


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