障害者の自立とは「誰にも頼らず自分だけで生きていくこと」ではない
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講演の結論を言うなら「選択肢をたくさん持て」ということになるだろうか。
熊谷氏の言葉を借りるなら、支援者を最低でも30人は持つことがポイントだという。
特に介助が必要な障害者は介助者に依存して生きていかねばならないが、介助者も人間だから、虐待に繋がったりすることは残念ながある。
極論、親と子だけの1対1の関係なら親が介助に疲れて虐待するようになることもあるわけだが、そうなれば逃げようがない。
しかし介助者が複数いれば代替することはできるし、親もレスパイトができる。
ある日、高層ビルにいる状態で大地震にあうとする。健常者の避難方法はエレベーターが動けばエレベーター、そして階段、体力があればロープで避難できるかもしれない。
しかし車いすに乗った障害者の場合、エレベーターしか頼れないし、エレベーターが動かなければ避難することができず、最悪、死に至る可能性が高いわけだから、エレベーターに依存するしかない。
しかし、そうした局面でも助けてくれる仲間や支援者がいたら、ひょっとしたら担いで階段を降りて助けてくれるかもしれない。
しかし車いすに乗った障害者の場合、エレベーターしか頼れないし、エレベーターが動かなければ避難することができず、最悪、死に至る可能性が高いわけだから、エレベーターに依存するしかない。
しかし、そうした局面でも助けてくれる仲間や支援者がいたら、ひょっとしたら担いで階段を降りて助けてくれるかもしれない。
この場合、仲間や支援者は選択肢になる。
私たちは「自立」という単語を目にすると「誰にも頼らず自分だけで行きていくこと」だと認識するが、本当はそうではなく「困ったときにヘルプを出せる選択肢がたくさんあるかどうか」だという熊谷氏の主張に感銘を受けた。
困ったときにヘルプを出せる関係がたくさんあったほうがいい。少ない選択肢に依存して支援者の都合を甘んじて受け入れるのではなく選択肢をたくさんもったほうがいいのだ。
自立とは頼れる人が多くいて、頼れる選択肢がたくさんあること。
くらしケアの看護師や支援者も選択肢のひとつになると思うが、そうした選択をたくさんもつという熊谷氏の主張に異論はまったくないし、熊谷氏同様、医学モデルのまっただなかを生きてきた障害者としてしては、彼の考え方を世に広める手伝いをしたいと思うほどよい講演内容だった。