私は自他ともに認めるX(XJAPAN)のファンで、彼らを知ったとき私は18歳。闘病生活から本格的に社会復帰を目指した1986年(昭和61年)の時でした。

当時のXはインディーズでの活躍が目立ち始めたころ。まだデビューしていませんでしたが、その名は地方に住む私のもとにも届いていて、初めて曲を聞いたとき「日本人にも凄いバンドが現れた」と思いましたし、勢いを感じました。

それまで海外のハードロックやメタルバンドの曲はたくさん聴いていましたが、Xは国内のバンドで身近に感じたのもファンになった理由です。

この頃の私は慣れない義足と低学歴という社会参加には不利な条件を抱えてリスタートを模索し始めた時期でしたが、無意識に心の支えとか情熱のようなものを求めていたのでしょう。

彼らの存在は自分が頑張るための心の支えになりました。

その後の活躍は説明不要だと思いますが、私の10代後半から20代はXJAPANの音楽とともにありました。しかし残念なことに1997年9月22日をもって解散、そして翌年の1998年5月2日にギタリストのHIDEが急逝してしまいました。

彼らの解散だけでもかなりダメージを受けたのに、まさか好きなギタリストが亡くなるなどとは思いもよらず。世間はゴールデンウィークでしたが、ワイドショーでHIDEさんの死が報道されるとテレビの前で泣き崩れていました。そんな私を見た家族は心配するほどで、周りから見れば異常な様子かもしれませんが、彼らの存在と活躍はそれほど私の心の支えになっていたのでした。

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※HIDEさんの墓前にて撮影。


HIDEさんが他界して20年が経ち、メモリアルイベントや映画が始まっています。それまで封印されていた事実が少しづつ明らかになっていますが、とても悲しみを感じる事実として、亡くなる前日を一緒に過ごした人たちの後悔と悔しさがあります。

家へと送り届けたマネージャーで弟の松本裕士さん、前日にHIDEさんが飲んでいた店の店主、その他、関わりのある人達が一様に語るのは「もう少し違う関わり方ができたら、HIDEは死なずに済んだのではないか」という強い後悔でした。

HIDEさんの死は自殺なのか事故なのか今でもはっきりしていませんが、多くは自殺ではないと考えられています。

しかしHIDEさんはこの世に居ないという事実があるだけで、残された身近な人々の心の痛みは消えないままなのです。

不慮の事故は誰にでも起こる。
そんな運命に遭えばそれは仕方がないのかもしれません。

身近な人が突然この世から居なくなれば、周りの人たちはずっと悲しみを抱えて生きなければならないのです。

世間には自ら命を絶とうとする人がいます。私が普段から関わる人の中には自死で家族を亡くした人がいますが、その方たちは癒えることのない深い傷を抱えて生きています。

いろんな悲しみや苦しみ、絶望を抱えて自死を選択せざるを得ないのかもしれないけど、でも、残された人は、悲しみが癒えることなく生きていかなければならないのも悲しいこと。

そうなる前に話して欲しい。悲しみや苦しみを少しでいいから分けて欲しい。そんなふうに思います。


今日のブログは何が言いたいのかをうまく伝えられずで申し訳ありません。

ただ、できるだけ生きようとか、死んだらダメだというようなことを伝えたくて書きました。

時々、闘病中に出会った闘病仲間たちの無念を思いだしますが、生きたくても生きられない人も少なからずいます。

誰もが「大切な人に深い悲しみを与えないように生きるべき」なんじゃないかと思います。





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