出勤前の身支度をして思ったこと。
「義足が進化したらメガネと同じだよな。義足で不自由を感じなくなるとぎそはもはや障がい者とは呼べないのではないか。」
— なおのタケシ くらしケア®︎代表 (@taknaono) 2018年1月22日
朝の支度でメガネをかけて義足を履きながら思ったこと。
これは今朝、歯を磨きながらTwitterへツイートしたもの。
よく読んでいただくと気づくと思いますが、ちょっとだけ誤字(変換ミス)があります。
正しくは「義足で不自由を感じなくなると義足はもはや障がい者とは呼べないのではないか。」と書きたかったので、読者さんには訂正してお詫びします。
私の朝はメガネをかけて義足を履くところから始まるのですが、これだけ義足が進化するともはや障がい者とは呼べないのかもしれないと思えてツイートしました。
その昔、メガネが無い時代なら視力の弱い人は不自由だったでしょう。
きっと生きづらさを感じていたと思います。
しかしメガネが一般的になった現代では視力の弱い人は不自由カテゴリーの人ではない。
私が義足になった頃は、ネジがいちいち緩んで部品が取れたり、膝の関節部分はしょっちゅう壊れたもので、1ヶ月に1回の点検は欠かせませんでした。
また靴を履くにも苦労があった。
想像して欲しいのですが、靴って製品によって「かかとの高さ」が微妙に異なります。
だから義足のパーツを靴に合わせて交換し、高さを調整するような代物の時代もあったのですが、現代の義足はかかとの高さ調整は自由にセッティング可能です。
しかもほぼメンテナンスフリーで、点検に行くこともめったに無くなりましたので当時の不自由さと比べたら便利であることこの上ありません。
もちろん健康な脚と比べたら階段昇降の場面などは不自由を感じることもありますが、日常生活では概ね支障をきたすような不自由さを感じることがなくなっています。
また、和式トイレが無くなったことも、不自由さの解消につながっています。
そう考えるともはや義足による不便さの多くは解消されているから、メガネと同じかなと。
もはや障がい者とは呼べない時代に入っているのかもしれません。
何が言いたいかというと、障害というの意識次第で感じ方が変わるんだなということです。
まぁ、なんだかどうでも良いブログになりましたが・・・本日も一日笑顔で楽しく過ごしましょう!
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いきなりステーキの社長のブランディングですね。