運営する会社のホームページもよかったらごらんください。
https://www.kurashicare.co.jp/

【お知らせ】
くらしケアの訪問看護に興味がある方はこちらからご相談ください。
とりあえず相談したいナースの方→ https://lin.ee/ry6wqu6(LINE友だち追加に移動します)
急ぎで面接を希望するナースの方→ https://bit.ly/3wcj2IE(WEB職務経歴書フォームへ移動します)

偏見って、たぶんこういうことかな。


皆さんは、髪の長い男にどんな印象を持ちますか?

恐らくですけど、多くの人は好意的には見ないのではないでしょうか。

社会人ならなおさら好意的には見ないでしょう。
 

「男が髪を伸ばすなど言語道断だっ!」

なーんて思う方もいるでしょうね。


私も以前なら「言語道断派」でした。

なぜかというと、サラリーマン時代は身だしなみの厳しい会社に勤めていたからです。

「取り組んだら離すな!殺されても離すな!目的完遂までは!」みたいな。

軍隊のような朝礼で一日が始まる会社にいましたから。 


白以外のワイシャツはダメ。

ヒゲはダメ。

髪は襟や耳にかかってはダメ。

パンチパーマ?もちろんダメ(笑)






そんな私が



今では




こうなってしまいました。


カッコつけてる(ように見える)でしょ?(笑)

かなり伸びましてね。


髪を伸ばしているせいか、けっこうジロジロと見られます。

背後に視線を感じるときに振り返ると、たいてい髪を見られてまして(苦笑)


中には軽蔑したような目で見る男性(その方のほとんどは年配の方)もいらっしゃいます。

まぁ、良いんですけどね。

 

実は、訳あって髪を伸ばしています。

思い立ったのは昨年末ですね。
 

ひと月だいたい1センチ程度は伸びるから、もう10センチは伸びてるかな。

そんな私のことを「カッコつけ」「社会人としてどうなの?」と見る人がいても仕方ないと思ってます。




でもね。
 
でもですよ。


もし、私が「病気で髪を失った男の子のため人毛カツラを提供する」つもりで伸ばしていると聞いたらどうでしょうか。

髪を伸ばす動機が、「私自身が小児がん経験者で、抗がん剤治療により髪を失ったことがある人」だと知ったらどう感じるでしょうか。



何が言いたいかというと、
偏見って、そういうことかなって思うんです。



 

でもね、

いまは偏見の目で見られてもぜんぜん気になりません。


だって、目的を持ってやってることだから。




人は見たいように見ます。 

いちいち気にしないことです。


誰かにどう見られているかを気にして、窮屈な思いをする必要は無いし、自分の生き方を変える必要なんてこれっぽっちもありません。


もし、偏見に悩んだり苦しんでる人が居たら、気にするなっていいたい。

私からはそんなことを伝えたいですね。
 


希望を持とう

14666099_1220666841330282_1352843150790932199_n

先日撮ったこの写真。何だと思います?

タイヤ交換に行った際、待ち時間でソファに座ったのですが、そのとき何気なく撮った自分の両足です。

私は大腿義足(大腿=ふともも)ですが、どっちが義足かわかりますか?

答えは右脚(右側)です。

ちょうど写真の右手小指の先端あたりから脚がないのですが、義足を履くと分からないでしょ?

何が言いたいかというと、昔と比べ、義足のフォルムはずいぶん良くなったということです。

(フォルムはフランス語で「形状」という意味です)

フォルムが良くなったおかげでファッションを楽しめたり、カカトの高さがあるビジネスシューズを履くことができるため、QOLの高い暮らしができるようになりました。

(QOL=Quality of Life は、『生活の質』と訳され、人間らしく、満足して生活しているかという意味で使われます)

義足を履き出した30年前は、歩ければ良しで、見た目は二の次でしたから。

写真を見て義足の進化を実感するわけですが、それもこれも義肢装具士さんのおかげだと、つくづく思います。

逆に考えたら義肢装具士さんが居なければ、私の生活の質は低いままだということ。本当にありがたいし無くてはならない存在です。

昔は不恰好な義足でガマンしてたし、平ぺったい靴しか履けませんでしたけど、いつか、いつか、と希望だけは持ってましたね。

だって、若い頃はオシャレしたかったですもん。

社会ではいろんな病気や障がいに直面して苦しんでいる人はたくさんいるけど、わずかでもいいので希望だけは持って欲しいな。

いまはともかく未来を信じてあきらめないというか。

私は苦しみがすべて無くなったわけではないけど、この義足のように、医療はもちろん、様々な製品やサービス、制度は進化しているので希望は持ち続けたいと思うんですよね。

今日のブログ、伝わりますか?

最後までお読みいただきありがとうございました。






精神障がい者の家族会に参加して


leaves-228111_1280


障がい者の家族会というものがあります。

家族会は、障がいを持つ方やご家族が、悩みを打ち明けたり経験を話すなどして支えあい励ましあう活動をしている団体。

活動を通して提言したり、障がい者に対する偏見を除去するなど、とても重要な役割りも担っています。


今回のブログでは、先日参加した愛知県某所の家族会での出来事を踏まえ、感じたことを書きたいと思います。


愛知県某所の家族会で出会った精神障がいの方のご両親。
 
私を見ながら「あなたには申し訳ないが心と身体は違う気がする」と。

私とわが子を重ねたのか、やや肩を落として、ため息まじりに話されました。


日ごろ支援を提供するなか、実際、精神障がいと私(身体障がい者)は違うとよく言われます。
 
この言葉には、精神障がいのほうが大変で重くて、悩みは深いとのニュアンスを含んでいると思われますが、いままでこの言葉に対して明確に答えることができずにいて、ジレンマを感じていました。
 
 
私は、ご両親の言葉が消えなくて、ずっと考えていました。

そして気づいたこと。

それは、障がいは違っても、生きづらさを感じながら暮らしていることは、きっと同じなんじゃないか、ということです。
 
私は最近まで社会に合わせてきましたし、健常者のように振る舞ってきました。

そして障がいを隠すようにして生きてきたけど、そうせざるを得なかったのは偏見から身を守り、できるだけ傷付きたくなかったからです。
 
生きていくため、社会参加するために、そうするしか方法が思いつかなかったから。
 
ご両親の悩みを思い浮かべながら思います。
 
もし社会から偏見がなくなったら。

もし弱ってる人に手を差し伸べる優しさのある社会だったら。

昔は社会で鮮明に存在した「お互いさまの精神」とか。
 
社会が変われば生きづらさは軽減される。
 
大げさかもしれないけど、無理かもしれないけど、この事業を通じて社会を変えられたらと。
 
ご両親に気づかせていただいたことはそのようなことでした。

自分にできることを見つけて、少しでもご家族の役に立てるようになりたい。

家族会に参加して、そんなことを思いました。

 

人柄はすごく大事だなって思う

ファイル 2016-09-25 午前10 46 29

秋の空だな。

秋は四季の中でいちばん好きです。

理由は涼しくなるのと、四季の移ろいがちょっとだけ「もの悲しい」というか。

ギターで言えば、メジャーコードからマイナーコードになるというか。

これ、伝わりませんよね?(笑)



さてさて、

福祉や介護、医療のようなサービスを提供する仕事をしていて思うことがあります。

それは「人柄の良さがいちばん大事だな」と。

そんなことを思う。

人柄の意味を調べると「その人に備わっている性質や品格」とあります。

これだとやや抽象的ですが、自分なりの解釈では、育った環境や人との縁、その人の考え方によって、雰囲気や言動が良い印象として人に伝わるもの、かな。


人柄を表現するのにはいくつかのキーワードがあると思います。

例えば、

正直、誠実、オープン、謙虚、感謝、良心、優しさ、素直、など。

他にもあるかもしれないけど、こんなキーワードが思いつく。

正直な人だ、誠実な人だ、素直だ、とか。

人柄の良い人はこんなキーワードで表現できる。


逆に人柄の良くない人は、これらのキーワードに「ではない」と付く。

正直ではない、素直ではない、とかね。 

嘘をつく、人によって態度を変える、隠し事をする、常に自分が正しいと思ってる、そんなのが垣間見える人かな。


で、冒頭に戻り、どうして人柄の良さが大事と思うのか。

それはね、
サービスを提供される側、つまり「利用者の立場」になって考えれば分かります。

なぜなら、


人柄の良くない人からサービスを受けたくないでしょ?


好んで読んでるエスクマ藤村先生のブログにもこう書いてありました。

人は何のために生きているかといえば、いい学校に入ったり、いい就職口をみつけたり、他人と競い合ったりすることではありません。
ましてや、やりがいのない仕事をして、健康を害したり、大切な人と争ったりすることではない。
悲しむために、苦しむために、生まれてきたわけではありません。
自分の大切な人たちと一緒に、好きなことや楽しいことをして、仕合わせになるために生まれてきたのです。
(中略)
結局、仕合わせな人生になるためには、人柄が重要。
そのために、心の質をあげる努力をしたいですよね。
 
 
人柄の良い人と一緒に働きたいし、そういう人の集まりの中に身をおいていたい。

もちろん自分自身も十分とはいえないから、人柄の良い人から学んでるところですけどね。

日曜日の秋の空を見ながら思ったことは概ねそんなことです。
 

フェイスブックの友達リクエストは実際に会ったこと無くても別にいいと思う理由

IMG_1121















カメラ目線で僕の自撮りに答えてくれる、とてもお利口なジョイちゃん。
介助犬のジョイちゃんと(盲導犬ではありません)
盲導犬は国内に1000頭くらいいるらしいのですが、介助犬は70頭しかいないんだそうです。



このごろは良い出会いが本当に多い。
昨日も素敵なご縁に恵まれました。

この仕事をしているから出会える人たちとの日々。

幸せですね。


さてさて、
今日のブログは出会いに関して書いてみたいと思います。



屋久島生まれ、岐阜県各務原市出身。16歳のとき病気で義足に。その体験を活かして障がい者の暮らし全般を支援しています。友達リクエストは会ったこと無くてもOK、事前メッセージ不要。気軽に申請してくださいね。

上記は僕のフェイスブックでの自己紹介。

・友達リクエストは会ったこと無くてもOK

・事前メッセージ不要

と書いてますがどう思いますか?(笑)

 

一般的には「会ったことある方」とか「メッセージを添えて」などの条件をつけると思うのですが、僕の場合は(よほど怪しくない限り)誰でも歓迎します、というスタンスです。

まぁ、プロフィール写真のない方の友達リクエストや、ご本人の投稿内容に違和感のある方については一応、気をつけますけど。

基本的に誰でも承認してます。

実は僕も以前は「会ったことある方のみ」にしてました。

でも最近、考え方を変えたんです。

理由は「多くの方に自分達のことを知ってもらいたい」から。


よく思うんですよね。

発信することで障がい者に対する理解が得られたり、周囲の方も配慮や支援がしやすくなるんじゃないかって。

それに僕自身も障がい者ですし・・・。


少し脱線しますが、僕は長いこと義足のことを隠してました。

「足が悪いの?」

「足、ケガでもしたの」

こんなふうに聞かれるけど義足だと答えることはあまりなかった。

「もともと足が悪いんです」

とか

「ちょっとケガしまして」

とか。


理由は、哀れみの目で見られたり気を遣わせたり。

そういうのが嫌だった。



でも最近はこんなふうに答えてます。

「足ですか??」

「悪いどころか足はありません(笑)」

ってね。


だってさ、本当に無いんだもん(笑)



振り返れば20年以上、隠してきたかなぁ。

無理に隠してたから健常者に合わせる努力が必要でしたね。

それに「関わりづらい雰囲気」のようなものも出てました。

変な負のオーラが(笑)

僕の過去を知っている方ならなんとなくわかりますよね。

とっつきにくいというか。。


でもね、ここ数年、隠さないようにしたことで良い出会いも増えたし、僕自身、生きやすくなったと思う。

きっかけとしてフェイスブックやブログの存在はとても大きいのです。


思い切ってフェイスブックやブログ上で自分をさらけ出してから出会うはずもない人と出会えたり。


実際、フェイスブックの繋がりのなかで出会った人と一緒に仕事を始めるなどして今がありますし。


ひとりでも多くの人と繋がった方がきっと楽しいし、可能性も拡がると思うんですよね。

また、僕自身が生きやすくなったように、繋がることや、知ってもらうことで障がいのある方の暮らしがより良くなると信じてるんです。


だから友達リクエストで知り合いか知り合いじゃないかとかは気にしないし、順序なんて前後したって構わないと思う。

人生はどんな出会いがあるか分からない。
だけど出会いの中に人生の面白さがあるのも事実なわけで。

もちろん良い出会いばかりでなく結果的に悪い出会いもあるでしょう。


今朝なんてスパムと思われる投稿に勝手にタグ付けされてビックリしたし(笑)

だけど、そんなのは気付いたらブロックするなり消しちゃえばいいわけですよ。


いまはSNSを使えばいろんな人と繋がることができる。

そんな便利なツールがあるのに自分から可能性を閉じなくてもいいんじゃないかと思うんです。

というわけで、僕のフェイスブックは「扉を開きっぱなし」にしてますので 、お気軽にリクエストしてくれるとうれしいですね。


はじめるのに遅いということはありません


8月は起業を決意した月。

5年前の2011年8月にちょうど起業を決意しました。

起業することを決意したキッカケはひょんなことでしたけどね・・・

それまでいい歳してふわふわと迷ってた。

もっというと、次に何するか、何のプランもなしにサラリーマンを辞めてしまったのです。

理由はサラリーマンを続けられないと思ったから。

僕は16歳のときに骨肉腫になり、死ぬかもしれないといわれながら結局は死なずに済んで。

障がい者になった瞬間から健常者を見返したくてがむしゃらに働いた。

結果、収入も地位も付いてきてたけど、働くモチベーションが「人を見返すため」という、よくよく考えてみればくだらないというか、ふざけた動機。

だから、見返す必要がないレベルに達した時期に心が壊れてしまったんです。

こんなことをするために何十年も働いてきたのかと。

今日という日を生きることができなかった闘病仲間が、いまの僕を見て喜ぶのかと。

ある日、気づいてしまったのです。

これがサラリーマンを続けられないと思った理由。 

すでに42歳にもなってました。


その年の8月に転機が訪れました。
ある一冊の本に出会いとともに。

著者に会うことができたのです。

葬儀会館ティア・冨安徳久社長の本に出会ったのが8月7日。

実際にご本人に会って直接、話を聞かせていただいたのが8月17日。

冨安社長は創業社長であり上場企業の社長。

そんなすごい方の仕事観や人生観を聞かせていただく機会を得たのです。

冨安社長は奥行き50センチくらいの小さなテーブルの向かいに座ってお話ししてくださいました。

貴重なお話を聞きているうちに、自分が何のために働くのかを明確にする必要があると強く感じました。

生活のためでも、
誰かと競争するためでもない、

何らかの理由が。

そしてヒントをいただいたのです。


人生を尽生と読み替え、
人に尽くす仕事をしてみる。

そして仕事には志が必要。
それを志事と読み替えてみる。


僕は住まいの仕事を得たことがキッカケで自立への切符を手にしました。

学歴なし、病気持ち、義足の障がい者でも雇ってくれた唯一の業界。

ただ、住宅業界が、もはや空き家を増やす原因になっていることを感じていた僕は、空き家を活用する事業で社会の役に立とうと考えたのです。

(いま思えば空き家活用で行こうと考えたのは正解だったと思います。不動産屋で行こうと思ってたらきっと行き詰っていた)

この理由なら志もあるし、人に尽くすことにもつながる。

そう考えたのでした。






準備期間を経て11月11日に会社を設立したのですが、思い切って起業することにしたのがいまから5年前の8月だったのです。

まぁ、起業した直後は大変なことばかりでしたけどね(笑)

そのあたりを書くと長くなるので割愛しますが、いろんな出会いや学びをいただき今日に至ってます。

当時を振り返ると、5年後の今の景色は想像できませんでした。

でも、5年経ったいま、目の前には素晴らしい仲間と、そして、必要としてくれる人や応援してくれる人に支えていただきながら志事をさせてもらってます。


思うに、事業って、意外と何とかなる。

私は42歳で起業したけど、現になんとかなっている。

始めるのに遅いということはないというのが実感です。

もちろんタイミングもあります。

でも、志があれば、そしてあきらめなければ、決して終わることはない気がします。 



さてさて。
あなたにはやりたいことはありますか?

おたがい後悔しない尽生を生きましょうね!

532177_392716404125334_655142818_n
※株式会社ティア 冨安社長と


 

ワンルームの空き部屋をお持ちの大家さんへ

santenunit


このたび弊社くらしケアにて「ハウジングサポートプログラム」なるサービスを開発し、リリースしました。

原型はハウジングファーストで、くらしケア流にアレンジしたプログラムです。

「ハウジングファースト」
 住まいを失った人への支援において、安心して暮らせる住まいを確保することを最優先とする考え方のこと。欧米のホームレス支援の現場では一般的になりつつあり、重度の精神障害を抱えるホームレスへの支援でも有効といわれている。

ハウジングファーストは主に「ホームレス支援」がテーマですが、くらしケアの「ハウジングサポートプログラム」は、障がい者の支援をメインテーマにしている点が異なります。


具体的には、まず、アパートの空き部屋をくらしケアが「入居者」の立場で借ります。

次に、くらしケアが借りたアパートを、障がいを持つ方に「入居費用不要」そして「連帯保証人不要」で提供します。

この仕組みがわかりづらい方は、寮をイメージするとわかりやすいかもしれません。


そして、その後の暮らしの維持、自立、就労など、その人の目指すゴールに向けて、くらしケアのスタッフが徹底サポートします。

一般的に、障がい者が単独でアパートを借りる場面では、差別的に物件を紹介してもらえないことが多々あります。

借りる側の障がい者も、連帯保証人を立てることが困難だったり、礼金、敷金、仲介手数料といった、最初に掛かる費用が準備できない方もいらっしゃいますが、こうした方々のアパート入居に対するハードルを下げるため、くらしケアがすべて肩代わりします。


生活の基本である「住まい」をくらしケアが整え、ゴールまで一緒に伴走するイメージ。

大家さん、障がい者、地域社会。
それぞれが笑顔になる。
まさに三方良しのプログラムだと自信を持っています。



ただし。。。


このプログラムを適用するにのひとつ大きな課題があります。


それは「貸してもらえる物件が非常に少ない」ということです(涙)


賃貸不動産会社の店頭では「障がい者」というだけで難色を示しがち。 

このプログラムの場合、障がい者の方が大家さんと直接契約するのではなく、「くらしケアが会社で借りる」と説明しても、それでも難色を示されることが少なくないのです。

主な理由は「何か起きたときの責任が…」という、漠然とした不安。

(実はそれが差別なのですが…)


まぁ、日常的に障がい者の方と接していないから、仕方がないのかもしれませんね。



そこで皆さまにひとつお願い。

このブログを読んでくださる大家さんが居るのかどうかはわかりませんが、もし空部屋を提供しても良いという大家さんがいらっしゃいましたらぜひご連絡をいただけるとうれしいです。

浴室、洗面、トイレが一体になった3点ユニットのワンルーム、

学生をターゲットにアパートを建てたけど空室で困っているアパートなど

広く探しています。


そんな物件をお持ちなら、ぜひくらしケアに声を掛けてください。 

自薦他薦は問いません。


私たちくらしケアが運用し、空部屋をお持ちの大家さんに安心と確実な家賃収入をもたらします。

このプログラムへの参加は大家さんの空き物件の提供を通じた地域社会貢献にもなります。

ご賛同いただけたら幸いです。


(追伸)

 まずは岐阜県下での募集となります。
 あしからずご了承ください。













くらしケア in 岐阜大学 です。


岐阜大学にて。

学生さん向け講師のお仕事です。


ピアサポートを学ぶ学生さん向けに、弊社の保健師が講師としてお招きいただきました。


私は「見えない障がい(義足)」の実演説明のために同行。


見事にまぶたが閉じてます(笑)


学生気分を味わいながらスタッフの講演を見守ってますが、大学の雰囲気って良いですね。 



僕は病気などの理由もあって高校を出ることができなかったので、大学は未知の世界でしたけど、なんだかとても楽しそうな雰囲気が伝わりました。


きょうはまたとない貴重な機会をいただきうれしかったです。

山田先生ほか教授の皆さま、そして、くらしケアの話を聞いてくれた学生の皆さま、本当にありがとうございました!



上の写真は山田日吉教授。
一部の画像は山田教授よりお借りしました。

このページのトップヘ

見出し画像
×