ボクは障害者ですが、同時にがんを経験した人間です。

自己紹介のとき、まずは障がい者であることを話すことが多いのですが、話す相手ががんを経験した人であれば、自身のがんの体験のこともお話します。

現代は2人に1人はがんになる時代。

がんで亡くなる人もかなりいる時代で、障がいを抱えていきるのが大変なように、がんになったがゆえに、その後の人生が苦労の連続になる方もたくさんいます。

この時点でも、障がいやがんなどの病気を理由に苦しんでいる人はたくさんいると思う。

いろんな生きづらさがあります。

ボクががんになったのは30年以上前です。
結構タチの悪い小児がんで、5年後に生きている人は10パーセント程度でした。

(現在の5年生存率はかなり改善しているようです)


がんが肺転移せず、あるいは再発しなかったのは運が良かったのかもしれません。

でも、自分自身のがん体験を振り返って思うのは、決してあきらめなかったことも死なずに済んだ要因だったのではないかと思っています。

とにかく生きたかった。どうしても生きたかった。

そんなボクが今日を生きているのは、ボクの性格や強みを理解して、エンパワーメントしてくれた看護師の存在があったから、結果的に病気と障がいを克服できたような気がしています。



エンパワーメント
社会的弱者や被差別者が、自分自身の置かれている差別構造や抑圧されている要因に気づき、その状況を変革していく方法や自信、自己決定力を回復・強化できるように援助すること。またはその理念。「庇護」や「救済」ではなく、本来の権利や人格を保つために力を付与する(エンパワー)という考え方に沿って、教育や支援を行う。フェミニズム運動や反差別運動から始まった。例えば、夫に抑圧されている妻が自助グループを利用し、自己の心理的・経済的自立を図る支援もその1つ。不当な力に対抗する知識や手段、権利意識の習得を支援することで、主体的かつ能動的な権利擁護を目指す新しいアプローチ。
(中谷茂一 聖学院大学助教授 / 2007年)


こんな話は非科学的な話しに聞こえるかもしれませんね。

でもボクは、実際に死におびえながらも「絶対に死ぬものか」とも思ってたし、その思いは外部からの励ましではなく、自分自身の内なる声が、まるで毎日叫ぶかのようにこころの中で訴えていたから、今日まで生きながらえたような気がしています。

「今日という日は誰かがどうしても生きたかった日」

世間にはこんな言葉があります。

10代のあの時代、共通言語が小児がんだった病棟の仲間がいました。

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病院の待合室のベンチで、松葉杖や車椅子で集まった彼ら彼女らと一緒に、缶コーヒーやジュースを片手にもバカな話や、時に涙しながら話したときの記憶があります。

当時はみんな若かったからか、話が病棟消灯後になっても看護師さんは「おおめ」に見てくれてました。

あのときの仲間はもうこの世にいないけれど、ボク自身、生かされた者として、生かされたことの意味と役割と考えながら彼ら彼女らと共にこれかれも生きづらさを抱えた人たちのことを思いながらこれからも生きていく。

明日を生きられなかったバカ話をした仲間のためにも、いま、困難や生きづらさを抱えている人たちに向けて、「未来は、きっと変えられる」と訴え続けていきたい。