事実は小説より奇なり

現実の世界で実際に起こる出来事は、空想によって書かれた小説よりもかえって不思議であるという意味のことわざ。「事実は小説より奇なり」は、イギリスの詩人バイロンの作品「ドン・ジュアン」中の一節から生まれた表現である。

引用元:https://www.weblio.jp/content/事実は小説より奇なり


12月17日は私にとって意味のある日。34年前の1984年12月17日は障害者になった日であり、16年間付き合ってきた右脚とサヨナラした日です。

もちろん生きるための手術でしたが、5年生存率は10パーセント程度(当時)と言われていた病気が原因でしたから常に死を意識していたし、そもそも「治すための手術」ではなかったので希望はまったく持てずに、ただ不安でしかなかったことを今でも鮮明に思い出します。

あの日を境に人生は一変しましたが、34年後の私はこうして生きています。

いま思えば、あのときに12月17日があったからこそくらしケアという名の使命にたどり着いたのだから。

人生とは不思議なものだと思います。

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ブログで夜明け前という映画について書きましたが、映画のなかで「日本精神衛生会」が紹介されてました。

日本精神衛生会は、明治35年に精神科医の呉秀三が中心となり、東大教授や政治家、経済人たちが発起人となり「精神病者慈善救治会」が発足したのが始まり。

日本でもっとも古い精神衛生のNGOの一つとして創設された精神障害者団体ですが、この団体の初代会長は大隈重信の奥様だったそうです。

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※大隈重信 ウィキペディアより引用。


大隈重信といえば民主主義の基礎を作った人物であり、政治家としても教育者としても活躍した人物で知られていますが、実は彼が大腿義足の障害者であったことはあまり知られていません。

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※大隈重信記念館HPより引用。
 https://www.okuma-museum.jp/institution/exhibits/

そんな大隈重信を支えたであろう妻が、日本最古の精神障害者の人権団体の基礎をつくったという歴史的な事実と、そしてその精神が現代でも受け継がれていることを知った瞬間、私自信が右脚大腿義足であることや、精神障害者を中心とした障害者と家族の生きづらさの解消に取り組んでいることに偶然が、単なる偶然ではないような気がしてしまいました。

なぜなら時々このように言われるからです。

「あなただからできた」「あなたは特別だから」「心と身体の障害は違う」と。

私だからできたのではないし特別でもない。ただ必死だっただけなのです。

心と身体の障害は違うけど、生きづらさは一緒でしょと。

大隈重信が障害者じゃなかったら、歴史は違ったかも知れませんよね。


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「精神障害者の地域移行に本気で取り組みたい」

私はいま、静かに、そして強い思いでそう考えています。

くらしケアの理念に集ってくれたスタッフと共に、世界一病床数が多い精神科医療を変えていけたらと。

アウトリーチ型の支援体制を構築すれば、地域で普通に暮らしていける人はたくさんいるのだから。

できないわけがないのです。

34年前の12月17日に障害者なった私は紆余曲折を経て、数年後に住まいの仕事にたどり着いたことでリカバリーすることができました。

長年の住まいに関する経験や知見を居住支援に注ぐことで業界構造を変えられるかもしれません。

そして生活支援をセットに提供して地域移行の実例を量産することができれば、精神科医療の現状と障害福祉を少しでも良い方向へと変えていけるかもしれません。

もしそうなれば、悲劇でしかなかった34年前の自分に「いろいろ大変だったけど結果的には良かったよね」と言えるのかもしれない。

いつもと違う12月17日の朝を迎え、そんなふうに思います。