よくよく考えると、両親が「どんな思い」で人生を送ってきたのかを知るための情報はほとんどないことに気付く。

日記でも書いてくれたら別ですが、あいにくそのようなものは存在しない。


強いていえば、古い写真でしょうか。

日常の一部を切り取った色あせた静止画で読み取れる程度。しかしそれはあくまで想像の域でしかありません。



私の両親は自営業でした。

仕事場と自宅は兼ねていたので、学校から帰ったときに感じる空気感はいつも同じではありませんでした。

忙しそうだなとか、ひまそうだなとか。ケンカになってるとか。

あるいは取引先とのトラブルがあったのかな、とか。

感じる空気はあるけれど、そのときの「思い」まではわかりません。



私が学齢期に病気が原因で入院していた時期、弟たち家族は家でつらい思いをしてたと思う。

ある日突然、兄の私が入院したことで母親は付きっきりになった。

あのころは完全看護などではなかったから、裕福な入院患者は家政婦を雇い、そうでなければ家族が付き添うのがあたり前です。

日々の食事や掃除洗濯の担い手が居なくなれば、家族の誰かが補わなければなりません。

当時の私は16歳。父親は37歳。次男は14歳で、三男は11歳。

年齢からしてすごく大変だったハズだけど、どんな思いで過ごしていたのかが分かる情報はない。

父に関してはすでに他界しているので、父が日々どんな思いで過ごしていたのかは、もはや知る由もありません。


と、長くなりましたがここから本題です。

何を言いたいかというと、いまの時代はブログやソーシャルメディア等で発信することで、その時々の思いを残せる。

私たちはそんな時代を生きているということです。

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例えば、誰かが書いた闘病ブログにたどり着いて、興味深く読んでいくと、ブログを書いたその人はもうこの世に居なかったということがある。

これってブログというツールがなければ見ず知らずのその人の闘病記を知ることは決してなかったはずです。

あるいは友人がブログやソーシャルメディアに投稿していたことを、ずいぶんあとから知ったとき、「あいつはそんな思いで過ごしてたのか」とか「ぜんぜん知らなかったけど頑張ってたんだな」とか。

以外な情報に触れて見直すことがあります。


インターネットを使って誰でも自由に発信できる時代は、そんなことが可能になったということです。

あなたがどんなふうに生きていたのか、どんな思いで過ごしていたのかが残せる時代を生きているということなのです。


いつか子どもたちが、たまたま私の書いたブログを見て何かを感じるのか、あるいは私があの世へ逝ったあと、私が生前、どんな関係性のなかで過ごしていたのかを知るかもしれません。

どんな夢や目標があったのか、周りとの関係は、仲間は、友だちは、人に感謝されていたのか、そうでなかったのか、苦労はあったのか、どう乗り越えたのか、日々どんなふうに過ごしていたのか・・・


いまこうして書いているブログや発信が、将来、誰かの目に触れたとき、良くも悪くも何かを感じかもしれません。


私は会社員を経て経営者を目指しましたが、その経緯や思いはいつか目に留まるかもしれない。

あなたが看護師なら、なぜ看護師を選んだのか。どんな看護をしていたのかが発信を通じて伝わるかもしれません。

他の職業の方なら、なぜその仕事を選んだのかなど、普段は決して目にすることのない姿や思いも発信で残すことができる時代を生きています。


もちろん発信するしないは個人の自由。

だけど発信して記録を残しておけば、家族や親戚、知人友人、あるいは見知らぬ人に何かを伝えることができるかもしれないし、一生懸命な様子、頑張っている様子に影響を受け、「よしっ、私も頑張ろう!」と良い影響を与えることもあり得ます。

大切な誰かにメッセージを残せる発信という行為は、決して悪くないと思います。



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