昨日10日(金)の午前は三重県庁に居た。

目的はヘルプマーク普及活動に奔走する小崎麻莉絵さんという方の講演を聞くためだ。

小崎さんは骨髄異形成症候群という血液の病気を患い、4年前に診断を受けたときには「余命5年」と医師から宣告を受けた過去を持つ。

この病気は、動悸や息切れ、抵抗力の低下による発熱、体のだるさなどの症状がある血液の病だそうだが、例えば電車で立っていられないとき目の前の優先席に空席があれば座りたくなるタイプの病気だと思う。

しかし、やっかいなことに彼女のように若く外見からは判断できない病気を持つ人の場合、優先席に座ると「若いのになぜ優先席に座ってるんだ」と誤解する人も出てくるだろうから悩ましいだろう。

そんなときヘルプマークの存在を知り、同じように困っている人のために普及活動に取り組んでいるのだが、最近、愛知県や三重県でヘルプマークの導入が決まったのは彼女の活動によるものである。

なかなかのバイタリティを感じる方だが、活動は共感を得ており広がりを見せているようだし、これからも見えない障害を持つ人のために活躍を期待したい。


さて、私はヘルプマークを推しているが、今日のブログはそのあたりについて書いてみたいと思う。


いまから33年前、私はガンで義足になった。

義足になる前は普通の健常な16歳。義足になったからといって生きていくには甘えは許されないし、社会で普通に生きていくには健常者のように活動しなければならない。

健常者のように歩けなければ就職すらおぼつかないから車いす使用は論外。杖を使わなくても歩けるよう数年かけてひたすら努力した。

キレイなフォームで歩けるようになったが、その結果「外見から義足がわからない」「見た目にわからない障害者」として生きることになった。

障害を意識されなくなったことで就職が叶うなど良いこともあるが、日常生活の大半は肉体的に無理を強いられた。

義足といっても右膝も義足なので揺れる電車やバスでは立って踏ん張ることができない。かといって電車内の優先席に座るのも気がひける。

長い階段の上り下りは困難さを伴い、手すりに掴まれなければ転倒の恐怖も感じるし、加えて手荷物を持っていれば地獄の修行でもしているかのように、義足ではないほうの脚に負担がかかり、たとえ季節が真冬でもスーツの下は汗びっしょり。そのあと冷たい風をあびれば翌日には風邪を引くありさまだった。

健常者のときは「あたり前」だったことがまったくあたり前ではなくなる。

そんな思いを30年以上してきたワケです。


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周囲の人に対し「障害があることの理解を求めるマーク」は様々なものが存在するが、私はそのどれも所有したり利用する気にはなれずにいた。

なぜかというと製作者の「イイコトしてる感」が前面に出ているのが嫌で、当事者の声で出来たモノというよりも支援者のエゴっぽいから使いたくないのだが、このヘルプマークは特に違和感なく欲しいと思うし全国に普及して欲しい。

ヘルプマークは東京から始まったものだ。元々は私と同じ義足の人が考案したものでデザインも気に入っている。

33年間「見えない障害者」として過ごしてきたけれど、ようやく使いたいと思うものが登場したと思ったものだ。

ヘルプマークの登場により、見えない障害が救われる可能性を感じる。自治体が導入が次々と決まり、普及活動が進めば、見えない障害を持つ人たちの生きづらさが軽減されていく期待感があり、私はヘルプマークがスタンダードになって欲しいと願っている。

ヘルプマーク以外の障害マークの考案者には申し訳ないが、私はヘルプマークを推しなのだ。



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