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たまに聞かれます。

「なぜ障がい福祉の事業を始めたのか?」って。

こないだは銀行さんで聞かれたのですが、よくよく考えてみたらコレって「よくある質問」だなぁと思いましたので、ブログに書いておこう(笑)

実は「始めた」のではなく「もとからあった法人」に途中から関わることになったというのが正解。

話せば長いので記事も長めになりますが・・・興味のある方はサラっと読んでくれると嬉しいです。

 

空き家、空き家、と言ってたら・・・

僕は空き家を活用したくて平成23年に起業しました。当時43歳。サラリーマンでいればどれだけ安定した暮らしができたか分からないんですけど・・・やらない後悔はしたくないなぁと、つい思ってしまったんです(苦笑)

で、当時はどんな仕事をしていたかというと、空き部屋の多いアパートの大家さんに空き部屋解消の提案をしたり、一戸建ての空き家を賃貸にして活用し、家賃収入を得ていただくという提案をしていました。

ただ、空き家活用では食べていけないので、一般的な不動産屋さんのように土地建物の仲介も手がけました。中古住宅をご紹介したり、不動産投資家の方にアパート1棟買っていただいたり。

仲介で利益を出しながら、空き家活用を手がけてて。

具体的には町中で空き家を見つけたら所有者を探しするんです。空き家かどうかを見極めて、となり近所の住人に聞きこみをして所有者が誰かを特定するという。とても地味な仕事。

運良く所有者にたどり着いても大抵はまったく相手にされませんけどね。

まぁ考えてみればそりゃそうです。だって、無名の小さな会社の社長が飛び込み営業でいきなり訪ねてくるワケですから。とても怪しいハズです(笑)

よくあるパターンは、となり近所の住人、時間を持て余してるお婆ちゃんの「都合の良い話し相手」になることが多かったですね。(もともと好きです。お婆ちゃんの話し相手・笑)

それに当時は空き家問題という言葉もありませんから・・・空き家活用の潮目が変わったのは新聞で取り上げていただいてから。少しづつ相談が増えていきました。

この人

 

しばらくして、岐阜市内でコミュニティカフェを運営するディアスの永井杜椛さんから電話がかかってきて、「某社長が可児市で空き家を活用したプロジェクトを立ち上げるから参加しないか?」とお誘いがありました。

永井さんとのご縁は、ディアスで開催されているエンディングノートの会で、僕が講演をさせていただいてからのご縁ですが、講演で空き家を活用している話をしたことや、新聞記事がキッカケで声を掛けてくれたようです。

空き家活用を掲げているのですから、断る理由などありませんよね。

 

障がい者が中心の可児型デイサービス

そのプロジェクトは「可児市に富山型デイサービスを作る」というもの。可児市の某会社社長が発起人で立ち上がったプロジェクトで、コミュニティカフェの運営と、空き家活用も予定されてました。

ミーティングにはそうそうたるメンバーが集まっていて、地元の経営者はもちろん、県や市の議員さん多数、県職員、市職員、福祉関係者など多くの専門家も参加していました。

そのなかに「重度の障がいを持つ子どものお母さん」も親子で何組かいらっしゃいました。

富山型デイサービスといえば、高齢者を中心に、障がい者と児童が一緒に過ごす施設で、当時、脚光を浴びていた素敵なデイサービス。

想像してください。高齢者だけが過ごすデイサービスと、障がい者や子どもたちが居るデイサービスの雰囲気を。

いかがですか?それを実現したのが富山型デイサービスなのです。

しかし、高齢者と障がい者、児童が一緒に過ごす富山型デイサービスのような形態は、制度上の課題もあり、多くの市町村では認められていませんでした。

そこでこのプロジェクトでは制度上の課題をクリアして、可児独自のデイサービスを作ろうということになり、障がい者を中心にした可児型デイサービスを作ることになりました。

この「障がい者を中心にする」という決定が強烈に僕の心に響きました。

というのも、いつか障がいを持つ方たちの役に立ちたいという願望を持っていたからです。
この決定で、江南市から遠いと感じていた可児市がとても身近に感じるようになりました。

 

 頼まれごとは試されごと。返事は0.2秒。

しかし残念なことにプロジェクトは立ち消えとなりました。理由を書くとさらに長くなるので割愛しますが、高齢者デイサービスを運営する参加者と障がい者当事者とのあいだで意見が割れてしまい、結局、障がい当事者たちがプロジェクトから降りることになったのです。

僕はこの瞬間からプロジェクトに参加する意義が見いだせなくなりました。

ミーティング終了後、コメダ珈琲でお茶でもしないかと障がい当事者の方からお誘いがありました。僕は残念な気持ちを引きずりながらコメダ珈琲に行くと、そこにはプロジェクトに参加していたお母さんたちと、後日、僕が理事長になるNPO法人の職員さん数名が集まっていたのです。

そしてあるお母さんが僕に「NPO法人の理事長をやってくれないか?」とおっしゃるのです。僕は次の瞬間「良いですよ」と即答していました。(実際、測ったワケではありませんが0.2秒くらいで返事してたようです)

実はこの時点でNPO法人のことは何も知りませんでした。知っていたのは「施設名称」と「可児市にあること」そして「障がい者施設」ということくらい。施設がどこにあるのか知らないし、障がい者施設といっても具体的に何をしているのかも知らない。誰が何人いるのかも知らないし、当然、財務状況もまったく知りません。

考えたらムチャクチャな話ですが、それでも即答でOKを出せたのは、皆さんの役に立ちたいという思いに火がついていたから。だから、どんな依頼でも引き受ける心の準備ができていたのです。

平成26年4月14日、障がい福祉に関わることが決まりました。

まぁここから大変ことになっていくんですけど・・・福祉のことなどまったく知らないのに引き受けちゃったから大変に決まってます(笑)

このあたりは機会があれば書きますね。

ということで、障がい福祉に関わることになったキッカケについて、でした。