僕はとにかく音楽好きな子どもでした。

3歳〜4歳のころに、いつも聴いていた曲はロックミュージック。
ショッキング・ブルーの「悲しき鉄道員」というシングルレコードを何度も何度も繰り返し聴いていた。

悲しき鉄道員をウィキペディアで調べてみると1970年の発売。
日本版はオリジナル版と比べて回転数を上げてあるらしく曲が速いんだそうで、聴き比べてみると確かに速い。




日本版の悲しき鉄道員。


僕はXJAPANの紅に代表されるようなテンポの速い曲が大好物なのですが、速い曲好きは幼少期の「日本版の悲しき鉄道員」にルーツがあるような気がしています。


ショッキング・ブルーって、若い人の多くは知らないですよね。
でも「ビーナス」なら聴いたことのある人は多いのではないでしょうか。



ヴィーナスを生み出したのがショッキング・ブルーで、カバーしているアーティストがたくさんいますね。

レッド・ツェッペリンやゲイリー・ムーア、イングヴェイマルムスティーン、メタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックス、国内ではラウドネスやアンセムを好みましたが、どれも共通点は速い曲があるということ。のちのエックス(XJAPAN)へ傾倒していくのも僕には自然な流れだったと思います。



さて、中学にも入るとバンドに興味を持つようになり、同級生らとロックバンドを結成しました。


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放課後の教室で練習中の写真。左手前でベースを弾いてるのが僕。
丸坊主が校則の時代なので、全員丸坊主でしたね。


中学3年の文化祭、体育館を満杯にして同級生のヤンキー達の嫉妬をかい、後日に野球部の部室でボコボコにされたのはいまでは笑い話です。

高校に入り、新しいバンドを結成するも病気で入院。将来はギター片手に上京してロックバンドのギタリストとしてデビューするという夢は右脚の切断とともに絶たれましたが、闘病生活を終えてから再びバンドを結成、音楽はいつも僕のそばにありました。

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闘病明けに仲間とライブをしたときの写真。当時17歳。
髪型が不自然なのに気づきますか?
抗癌剤治療で髪が抜けていて、カツラをかぶって演奏してます。



20代後半にはヴィジュアル系バンドを結成。
岐阜の各地のライブハウスで活動し、サラリーマンをやりながら夜はバンド練習に明け暮れてました。

休日には有料チケットを販売してライブもやってましたが、当時の勤務先から東京への異動命令が出たことでバンド活動は終わりました。



この映像はモダンカフェというライブハウスでの映像。
このときはギターを担当していました。
黒い服を着てレスポールを弾いているのが分かるでしょうか。



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左から2人目が僕です。どこを見てるんだろう。視線がおかしい(笑)

あれからずいぶん経ちましたが、いままたバンドをやりたいなって思ってます。

ヴォーカル、ギター、ベースだったら担当できるので、岐阜市近郊でメンバー募集しているバンドがあればご紹介ください。

ということで、今日のブログはこんな感じですみません。

皆さん良い日曜日をお過ごしくださいね。

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昨年末の古い写真ですが、いまバンドやるならこんなスタイル。よろしくお願いします。



あ、そうそう。
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