今日は義父の一周忌。

昨年3月6日に他界して、早いもので1年が経った。

先立って3月4日には墓開きを行い、真新しくも小さなお墓に遺骨を納めた。

たくさんの時間を一緒に過ごした義父がこの世にいないことが改めて不思議でならなかったが、これが現実なんだと。


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生前、とにかく優しかった義父。

20年前、がんを患ったことのある右脚義足の僕を受け入れてくれた義父。

自分の息子のように本気で可愛がってくれた。


義父との出会いは、それまで勤めていた会社が倒産し、新しい職場に転職したばかりのタイミングだった。

娘の幸せを願う父親なら、僕のような男に大事な娘を託すのはかなりの勇気が必要だったと思う。

だから僕は、義父の期待を裏切らないよう全力で生きた。

せめて経済的な面だけでも不安にさせないように昼夜問わず働いた。


結婚して6年が経ち、あなたの判断は間違ってなかったと思って欲しくて、東京品川駅前の一等地に建つビルで働く僕の姿を義父を見せた。

義父に安心して欲しくて、そして心配かけたくなくて、僕なんかに娘を嫁に出したことを恥じないよう僕なりの努力をした。

それは一見、単なる見栄かもしれないけど、当時の僕には分かりやすいほうが安心してくれるんじゃないかと単純に思ったからだった。


サラリーマン時代はそんなふうに過ぎていった。

しかし、運命に従うカタチでサラリーマンを辞めて起業してからは、現状をあまり多くを語ることもなく時間が過ぎていった。

義父は現状を尋ねることもなかったし、変わらず見守ってくれている感じだった。

空き家活用を掲げる個人経営の不動産屋の経営は楽ではなかったけど、それでも身内や義父に心配かけたくないから僕は順調な様子を装った。

くらしケアを始めたとき、事業が軌道に乗るまではと思い、嫁にも家族にも、そして義父にも一切、くらしケアのことは話さなかった。

いつも「順調だよ」と、それだけ言った。


くらしケアを始めて1年が経ったころ、義父の容態が悪化。

義父は手術をあきらめ延命治療を断念する決断を下したことで、義父への恩返しができるのはこれが最後のチャンスだと思った。

そして現在、くらしケアで管理者をしてくれている看護所長が義父の看取りをしてくれることになった。

この時点でくらしケアの経営は財務的にはもう一息であり、安定していると言える段階ではなかったけれど、もう隠している場合じゃなかった。

義父との残された時間はあとわずかだと知ったから。


空き家活用の事業からくらしケアという事業へと切り替え、素晴らしいスタッフに出会い、日々充実した仕事していることを話したところ、義父はとてもうれしそうにしてくれた。

そして、看護所長のケアのおかげで、とかく暗くなりがちな闘病生活に光が灯った。

義父の遺影は看護所長が撮影したものが選ばれることになった。

理由を義母に聞くと、写真は山ほどあるけどその写真がいちばんいい笑顔だったからだと聞いた。

長年連れ添った義母が評価するほど素敵な一枚だ。


僕はくらしケアをやっていて良かったと思う。

これまでいろいろあったけど、くらしケアという事業にたどり着けたことは本当に良かったと。

あんなに上手く行っていたサラリーマン生活も、ひょんなことで辞めることになったけど、義父は何も云わずに見守ってくれた。

本当は心配だったと思うけど、そんな様子を一切見せることはなかった。

実の息子のように接してくれた義父に心から感謝している。


そしてくらしケアの最高の仲間に出会えたことで、義父も安心して旅立つことができたことのだからとても感謝している。


あれから1年。

僕は成長しているだろうか。

仮に義父が今日も生きていたとしても、たぶん、何も云わないだろう。

生前と同じように、あたたかい目で見守ってくれていると思う。


お墓を前にして、そんなふうに思った。


僕はいま、スタッフの幸せために働く。

そして、くらしケアという会社を頼りにしてくださる方々のために全力で働く。


義父を安心させたくて必死だったときと同じように。

くらしケアを全力で成長させていくだけだ。



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