自分の人生を振り返ると人に自慢できるような実績もキャリアも何もない。

そんな私もいまは会社を経営させていただくようになったが、これが実現できているのは支えてくれる人が居るからだ。

そして、これまでこんな自分を雇用してくれた会社に対する感謝はいつも忘れていない。

私はどちらかといえば恵まれた環境に生まれたわけでもなくて、屋久島のど田舎から両親と出てきて岐阜に住み着いたのが3歳のころ。

当時は文字通りの貧乏暮しから始まって、どうにかこうにか生活を維持している両親の姿を幼いなりに見て育った。

いまは亡き父親は、昼メシを食べるお金がなくて水を飲んで空腹をごまかしていたらしいし、月末には数十円しか残っていなかったと笑顔で笑いながら話をするような母親だった。(母親は生きてます)

夏でも冬でも雪の日でも半ズボンだったけど、それは単に元気だったからではなくて、マジメに長ズボンを買うカネがなかったからだし、小学校1年生で学校にカッターナイフを持っていたのは、鉛筆けずりを買えなくて、カッターナイフで鉛筆を削るしかなかっただけだ。

昭和40年後半から50年前半のころの世間の暮らしぶりからしたら、ウチなんて底辺の暮らしだったと思う。

それでも近所のおじさんやおばさんが明るく気にかけてくれたせいか心までは荒むことはなかった。 

小学四年生くらいから父親の仕事が軌道に乗り、やっと人並みの暮らしを手に入れたと思ったら、中学になって大けがをし、けがの影響か高校入学と同時に大きな病気にかかり、あげく右脚も無くなることになった。

いま振り返ってもつらい経験ではあるけれど、あのとき支えてくれた友人や闘病中に出会った人たち、そしてなにより看護師の存在のおかげで、それほど不幸な感覚もなく過ごせたし、可能性をあきらめずに生きていこうと努力する「覚悟」ができたおかげでなんとかやってこれた。

カネもコネもなく学歴もない障害者をアルバイトで雇ってくれた設計事務所が見つかり私は暮らしていくことができた。

当時は未成年だったので障害年金ももらえないし、そもそも障害年金というものがあることを知ったのもずいぶんあとになってからだ。

成人して不動産屋の社長に「正社員雇用」のチャンスをいただき、とにかく必死に働いて稼ぎながら会社に恩を返していきたいと思った。

すると、もらえ始めていた障害年金は所得制限であっという間に全額カットになった。

それでもこれまで心配かけた親を安心させることができたということと、人並みに働けることが幸せだしうれしかった。

給料をたくさんもらうにはどうすればよいかも考えた。見つけた答えは「給料の2倍3倍は働く」だ。

たくさん給料が欲しければ会社に貢献すことだと先輩社員に教えてもらった。なぜなら会社に貢献する社員を会社は大事にするのは当たり前なのだからと。

2倍3倍とはもちろん労働時間のことではなく姿勢のこと。貢献とは労働時間の長さではない。

会社の売上や利益にどうすれば貢献できるのかということ。

そうした積み重ねを地道に行うと給料は本当に上がる。そのことを身をもって知った。


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何が言いたいかというと、雇用されるにしても会社を経営するにしても、感謝がないとダメだということ。

どんな境遇にあろうとも感謝して頭を使い努力すれば道は開けていくものだと思う。

そしてこれまでの経験からつくづく思うのは「過去にどんな生き方をしてきたかが未来を決める」ということ。

いまの人生において過去の生きかたが少なからず影響していると感じる場面は少なくないから。

これは例えるなら良質な食べ物を食べれば健康になり、ジャンクフードばかり食べれば不健康になるのと同じ。

自分がどんな生き方をしてきたかは確実に自分の血となり肉となっている。 

権利を主張するのではなく、責任や義務を果たすことがまず先で、少しでもそのように考えることができれば、目先の損得よりも大事にしなければならないことが何なのかくらい、多少のバカでもわかるものだと思う。 

バカな私でもわかるのだから。

自分の考え方や行動は自分の人生と未来に少なからず影響する。

そんなこと思う。



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