一生懸命さが人の心を動かす
初めて正社員として勤めたのがミニミニという名前の不動産屋さん。岐阜県各務原市のお店に岐阜エリアの社長さんが居て、当時24歳、業界経験ゼロの私を即決で採用してくれたのでした。
(いまは全国区の会社ですが、当時は名古屋と岐阜に数店舗あるだけだったと記憶しています)
宅建の資格に受かり正社員の仕事を求めて求職活動をしていたのですが、なかなか採用には至らない。
面接時、障害のことなど正直に話していましたがそれもネックになっていたようで、いくつ面接を受けも不採用。
あきらめかけていた矢先の出来事にとても嬉しかったことを覚えています。
当時の話はもう随分前の話なので名前を出しても良いと思うのですが、例えば東建コーポレーション小牧支店さんでの不採用理由は「階段を上れないのでは?」というのが不採用理由でした。
賃貸アパートをご案内するには階段の昇り降りがあるからあなたには難しいだろうというわけ。
面接してくれた支店長さんは階段の昇り降りのことをかなり心配してくださり、私を気を遣ってくれたのだと想いますが、かれこれ25年も前の話なので真意は分かりません。
晴れてミニミニへの採用が決まり、賃貸営業マンとしてのキャリアがスタート。
まずは名古屋本部での新人研修から始まりました。
名刺の出しかたや受け取りかた、電話への出かたなど厳しい指導を受けますが、電話を切るときは「まず指で切ってから受話器を置く」という動作もこのときに学んだことです。
ビジネスマナーなど知るはずもない私にはありがたい体験でした。
次に店頭でのOJT。まず物件を覚えることから始まります。
当時はナビゲーションなどない時代ですから、物件までの最適なルートはひたすら覚えるしかありません。
看板や情報誌を見たお客様からお店に電話が掛かってきたら、新人研修で学んだことを活かしてお店に来てもらえるよう誘導。
来店していただけたらカウンター越しにお部屋を紹介、「実際に部屋を見てみたい」との要望が出たらクルマで物件へご案内します。
道中、お客様が退屈にならないよう会話を選びながら、物件までのルートを間違えないようご案内するのですが、ときには道に迷ってしまい、物件へたどり着くまでに時間が掛かるなど最初はたくさん失敗しました。
名刺の出しかたや受け取りかた、電話への出かたなど厳しい指導を受けますが、電話を切るときは「まず指で切ってから受話器を置く」という動作もこのときに学んだことです。
ビジネスマナーなど知るはずもない私にはありがたい体験でした。
次に店頭でのOJT。まず物件を覚えることから始まります。
当時はナビゲーションなどない時代ですから、物件までの最適なルートはひたすら覚えるしかありません。
看板や情報誌を見たお客様からお店に電話が掛かってきたら、新人研修で学んだことを活かしてお店に来てもらえるよう誘導。
来店していただけたらカウンター越しにお部屋を紹介、「実際に部屋を見てみたい」との要望が出たらクルマで物件へご案内します。
道中、お客様が退屈にならないよう会話を選びながら、物件までのルートを間違えないようご案内するのですが、ときには道に迷ってしまい、物件へたどり着くまでに時間が掛かるなど最初はたくさん失敗しました。
そんなふうに試行錯誤しながら自分なりの営業スタイルを作っていきました。
入社して3ヶ月も過ぎたころ、あるお客様からこんなことを言われました。
「階段を登るまで足が不自由なことに気づかなかったけど、その姿に一生懸命さを感じました」
実を言うとお客様が云うほど私が一生懸命だったかどうかは自信がありません。
ただ、階段を登るには義足の特性上、片足つづしか上れないからとても不自然な姿で階段を登らざるを得ません。
実質的に、左足だけで階段を登っているためとても体力を使います。
特に夏の暑い時期、3階や4階の部屋を紹介するときは汗だくになります。
手すりのない階段を降りるときは転倒の恐怖を感じながら降りていますが、その様子がお客様には一生懸命に映ったのかもしれません。
このとき気づいたのが「一生懸命さはお客様に響く」ということ。
営業といえばトークが上手いとかテクニック的なものが必要だと思ってましたが、実はそればかりではないということに気づきました。
たいした成功体験の無い私でしたが、一生懸命に仕事をすることで人様に応援していただけるのだと。
当時の私は、このことを身をもって知ったのでした。
手すりのない階段を降りるときは転倒の恐怖を感じながら降りていますが、その様子がお客様には一生懸命に映ったのかもしれません。
このとき気づいたのが「一生懸命さはお客様に響く」ということ。
営業といえばトークが上手いとかテクニック的なものが必要だと思ってましたが、実はそればかりではないということに気づきました。
たいした成功体験の無い私でしたが、一生懸命に仕事をすることで人様に応援していただけるのだと。
当時の私は、このことを身をもって知ったのでした。