親亡きあと問題にかける思いは変わっていない
過去に書いた記事を読み返していたら、3年近く前に書いた記事が目に止まった。
その記事を紹介する。
タイトル「私たちの存在理由」
先日、運営にあたるNPO法人の社員会議に参加したときの話し。
当法人の理念について自分の考えを社員に披露した。
ちなみに理念とは企業活動における「企業と従業員が共有すべき価値観」や「果たすべき社会的使命」を意味するもので、ミッションとも言います。
私たちの使命は何か?
ちなみに理念とは企業活動における「企業と従業員が共有すべき価値観」や「果たすべき社会的使命」を意味するもので、ミッションとも言います。
私たちの使命は何か?
そう聞かれれば
「障がい児(者)の自立をサポートし実現すること」
私はこのように考えています。
NPOの運営に関わることが決まってから様々な施設の視察に回り、多くの方から話しを聞きました。
ですのでその分野の学びを深めるために何十社もの障がい福祉団体や福祉法人の視察に回ったのでした。
視察先は岐阜県や愛知県の施設はもちろん、先進的な取り組みの多い神戸市や岡山県へも足を運びました。
視察先は岐阜県や愛知県の施設はもちろん、先進的な取り組みの多い神戸市や岡山県へも足を運びました。
(あらかじめお断りすると、交通費などの経費はすべて自費です)
とにかく出かけて施設や運営状況を見に行きました。そして分かったことは、障がい者(児)と親はみなさん共通の悩みを抱えているということでした。
障がいを持つ子の親は例外なくわが子の将来を案じています。
なぜなら親は先に死ぬからです。
親亡き後、誰かの支えを借りなければならない障がい者はひとりでは暮らしていくことは困難。
これまでは親がやってくれた。
でも代替する方法や手段がなければ行きていけない可能性が高いのです。
だから親は常に不安を抱えて過ごしている。
以前お話しを聞いたお父さんはこんなことをおしゃっていた。
「自分が歳を重ねるにつれてあせりが募るばかりです。なぜならいつまで生きられるかわからないし・・・あした事故に遭って死ぬかもしれません。もし仮に私が死んでしまえばわが子は生きていけなくなります。だから私たちにはまったく時間がないんです」
とても切実で胸が締め付けられました。
私は障がい者の自立は2つあると考えています。
ひとつは読んで字のごとく自分で生きていくという自立。
ふたつめは支えあうことで生きていく自立です。
障がいの重い人でも、誰かの支えがあれば生きていける。
彼ら重度の障がい者が自由に意思表示できる。
その上で自由が叶う環境に身を置くことさえできればそれは自立です。
障がいを持つ子どもたちが私たちの施設に来てくれるのは、通う施設を選択する保護者が私たちに期待をしてくれていると捉えるべきで、先のお父さんのような切実な課題や悩みに真摯に耳を傾け、子どもたちが自立することが出来るようスタッフ全員がど真剣に考え実践すべきです。
保護者と利用者に真剣に向き合える人だけが、この仕事をさせていただけると考えるべきです。
それが私たちの存在理由だと思うのです。
〈以上、転載終わり〉
記事を読み返して、まったくブレてない自分を確認することができた。
対象者は障害児から「障害を持つ人とその家族」へと拡がったが、思いは変わっていない。
その一方で、まだ答えを完全に出しきれてないから焦りを感じるのも事実。
時間がない。必ず答えを見つけたい。