ご本人から許可をいただきシェアします。

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【独り言 ALSより怖いものは?】
ひと昔と違って今時のALSは乗り越えやすい
それなのに諦める人が多い
世の中には 他の病を発病しても生きたいと思っている人は多い
また死にたくないと思って亡くなっていく人もいる
それなのに どうしてALSを発病すると 自ら死を選択する人が後を絶たないのだろう?
「様々な理由がある」と一言で片付けてしまうのは簡単だけど そんなにヒドイ病気なのかな?
死んだ方がいいと思うほどヒドイ病気なのかな?と時々思う
今の僕に言わせれば そんなにヒドイ病気だとは思わないけどなぁといつも思っている
やはりお気楽かな?
それともALSを乗り越えたから?
乗り越えたと書くと なんか必死で頑張ったように思えるけど全然そうじゃない!
僕は頑張る事も我慢する事も不自由する生活も好きじゃない
好きじゃないから頑張らなくてもいいようにした
我慢しなくてもいいようにした
不自由しなくてもいいようにした
そしたら そんなにヒドイ病気だとは思わなくなった
また 人生を諦めるほどの病気じゃないと思った 
その方法はある!
誰でも利用出来る 

しかし病院では詳しく教えてくれない 

なぜなら支援制度のことは詳しく知らないから 

本当なら医師は 医療的な情報だけではなく支援制度の情報も言うべきだと思う

こんな事を書くと「いや 医師は医療が専門だから」と言う声が聞こえて来そうだけど 
その考えは間違っていると思う 

どうしてか?と言うと 
医師が支援制度の情報を知らないと 患者やその家族に対して ネガティブな事しか言えなくなる 

その結果として人生を諦めてしまう人が後を絶たない という見方も出来る

このALSという病気は 本人がダメと思えば本当にダメになる

これが怖い 本当に怖い  ALSより怖い


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上記はALSの中野玄三さんがフェイスブックに投稿した記事。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気だ。

だけど中野さんは病気をいたって前向きに捉えていて、投稿もポジティブなものが多く励まされる。

そんな彼が発する「本人がダメと思えば本当にダメになる」という言葉はとても重く感じる。

病気に限らず、困難に直面したときなど様々な場面で思い出したいと思った。

さて、そんな中野さんの投稿読んで、思ったことを書いてみたい。



医療と福祉の連携


病気等で障害者となった方にとって、医療的支援を受けている段階で「福祉の支援制度」の情報を得たり、サービスを組み合わせて提案してくれたらとても助かるだろう。

福祉の支援制度を知っていれば生活の質が保たれることはたくさんあるし、結果的に救われる命もたくさんあると思う。

私は訪問看護ステーションの運営というカタチで医療に関わっているが、福祉と医療の双方に関わるようになった結果、あることに気がついた。

それは、医療と福祉(介護も)の連携が不十分ということだ。

特に気になったのが、福祉の人は医療者にビビってんじゃないかと。

分野が違うのだから当然かもしれない。
けど、病気が原因で障害者になった人間からすると、これは惜しい。

支援制度に詳しい医療者が少ない一方で、逆に「医療に詳しい福祉職となると絶望的ではないか?」と思ったのである。



福祉に医療の知識が求められる


福祉に医療の知識が求められるようになって久しい。

例えばこれ。

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簡単に言うと「難病の方を障害者総合支援法で見ましょう」ということだが、その対象者が大きく増えている。

対象者には「ALS」が含まれるし、私たちが運営するキャンナス岐阜で関わる「筋ジストロフィー」の方も対象者である。

はたして福祉分野の人が医療の知識を持っているだろうか。

医療を踏まえたうえで最適な支援やサービスを提供できるだろうか。

そんな福祉職はまだ少ないのが現状ではないだろうか。 

と、思ったわけだ。

(誤解をしないでいただきたいのですが、もちろん医療に詳しい福祉の方はいます)



社名が決まるまで


難病の障害者にとって、医療と福祉双方のニーズを一体的に捉えた支援が期待されているが、そうしたニーズに応えられる人材はとても少ない。

私たちはそこに着目した。 

くらしケアは元々、空き家活用の住健トラストからスタートしているが、のちに運営を任されることになる障がい福祉のNPOプラウドで障がい福祉の現場を知り、人工呼吸器を装着した難病の方の移動支援を行なうキャンナス岐阜を立ち上げたし、医療の視点からその人らしい幸せの実現を支援する一般社団法人健康支援ディアスが元からあった。 

それぞれの運営や実績を通じ、見て、聞いて、感じたことがつながり、くらしケアの構想に繋がった。

くらしケアを始めるにあたり、まず考えたのが、医療と福祉双方のニーズに応えられる団体になろう、ということだった。

医療のことも支援制度のことも理解するスタッフを置き、そして育成する。

加えて住まいやファイナンス、法律の知識を加えれば、 そうした方の「暮らし」を総合的に「ケア」できると考えたのだ。

確信したらあとはやるのみ。事業内容を変えたら社名を変え、組織を一気に作った。その結果、医療と福祉のはざまで困っている人や困っていることに気付いていない人にサポートを提供できている。

社名をくらしケアに変更した理由は、こうした経緯から来ている。